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八紘一宇の原理

八紘一宇 東亜新秩序と日本国体』(昭和15年・錦正社)の第5章「日本国体の本義」より抜粋して掲載。里見博士による「八紘一宇」に関する体系的記述。

八紘一宇の必然性

遠い昔には世界といふものが具体的によくわからなかつた。極めて素朴な、直接的方法で知り得た自己の境環が世界であつた。又一般の人類はそこに幾多の国があり、幾多の異民族の存在する事を知る様になつてもその運命に就て予見する事は出来なかつた。然し、少数の優れた人類、即ち聖賢などと呼ばれる人々は、天下とか八紘とかいふ漠然たる言葉で未見の世界をも包含せしめて、その必ず一体となるべき事を看破したのである、然し、現実に、人類は疆を分ち相凌ぎ轢いて歴史を創造した。聖賢の考などは、一種の空想であるかの如くに思つた者もすくなくなかつたであらう。

然るに、近世、科学の長足の進歩につれ、世界はその全部が具体的に発見さられ、世界の形状も、大きさも、重量も、位地も、又、世界の中に存在する大陸島嶼も、大海小海も、陸地の中に於ける山川平野も悉く具体的に明瞭にされてきた。それのみではない、世界の民族、国家、宗教、言語、風俗、歴史などあらゆる部面に亘つて、今や世界は之を掌に指すが如く明かにせられてゐるのである。然も、世界の各国民、民族は、交通、通信の方法の驚くべき発達に伴ひ、年々歳々その宏才を頻繁ならしめ、経済の流通、文化の摂取等により相互依存の関係を益々深化するばかりである。人類の本性に照し、世界の相互依存臣下の実際に鑑み、人類の世界は、遂に必ず一宇化を遂げざるべからざる必然的運命を荷負うてゐるのである。日支間の戦争だから、といつて欧米は知らん顔をしてはゐないではないか。欧州の戦争だから日本の生活に関係がない、などとは言つてゐられないではないか、それほど密接な関係がありながら、世界の各国が、みな自己本位の世界的方針を樹てて区々分裂してゐるから、世界はつねに不安につゝまれてゐるのである。世界が一つの体制によつて安堵し得る日を求めるのは、理想を解する人類の必然的要求といはねばならぬ。

二 世界一法=剣=の国際的秩序の建設

世界の現在迄の秩序といふものは極めて仮性のもので、強大国相互間の妥協によつて暫時の安堵を貪つてゐるに過ぎない。然も、強大国相互間の妥協が守られるのは、強大国相互間の勢力がほぼ均衡状態にある時で、いつたん均衡が破れたとなると、「力は正義也」の原則に従ひ、忽ち秩序は破壊され、侵略、併呑、支配が行はれる。それが為めにはいかなる被害を蒙る民衆が生じても何等顧みられるものではない。だから、今日の世界の秩序といふものは全く、力の支配によつて保たれてゐるに過ぎないのである。成るほど国際法といふものもあり、国際裁判所もあり、乃至は、国際聯盟などといふものあつて、世界は一見強固な秩序の上に立つてゐるかの如くであるが、それらは事無き日、妥協の破れざる日に於てこそ多少の、秩序保持に貢献してはゐるものの、いったん、有事の日、聖力の不均衡状態が発生し一方的に妥協が破棄せられると、最早や何等の権威も認められない。兵備兵力の強大なる国家は、弱小国家の講義の如き、朝飯前に一蹴し去つて、その欲するがままの行動を起し、その欲するがままの秩序を打ち樹てるのが常である。かかる処に、世界の恒久平和の如きは到底思ひも寄らないのである。世界は果してこれでよいのか。否断じて。

みよ、世界には幾多の国家がある。幾多の民族がある。然るに之等の民族や国家は、強の処、それ自身に於て存在し独立する権利を行使し得るもの極めてすくなく、多くは、強大国、又はその聯合国家群の圧力、支配の下に辛じて経国しつゝあるに過ぎないではないか。ハワイ王国はアメリカ合衆国の侵略により亡び、ヱチオピヤ帝国はイタリー国に併呑せられた。ポーランドは英仏の保証によつて僅に独立を保持しゐたるも今やドイツとロシアに分割せられ了つた。バルト諸国、乃至ベルギー、オランダ、スヰツツル等々の諸小国、いづれ皆、強大国の勢力均衡を以て、独立の客観的要件となさざるは無い。要するに世界の秩序は、何等道義に基けるものではなく各国間の権力関係に基く妥協の上に築かれてゐるのである。

世界が今日の如く狭くなり来つて、人類相互の関係が緊密になり来れる時代に於ては、世界の格の如き仮性秩序に対し、峻烈なる批判が開始されなければならぬ。世界は、永遠真性の平和秩序に安住すべきである、との信念的欲求が高まり来るべきだ。然も世界にはこの真性秩序建設の指導者たり卒先負担者たり得る資格を具備した国家がない。日本の皇道天業の世界的恢弘は、実に、世界史に於ける唯一の神聖なる大業として、昭和の御代に勃興し来つたのである。日本こそは、是れを提唱し是れを卒先遂行する資格ある国である。

皇祖天照大神以来 今上に到る迄、連綿たる皇統の中に伝へられたる道統は、つひに世界的に行動を発揚する歴史的時代を迎へたのである。三種神器の剣こそは、断固として世界の仮性秩序を斥け、道義に基く真性秩序を建設すべき事を命じたまふ世界一法の最高規範ではないか。人類の世界から無道の戦争を根絶して、各国家各民族は、その本然の因縁に従ひ侵さず侵されず、自然法爾の独立を楽しむべきである。それが世界を一方の下に根本的に秩序づけるものに外ならぬ。永遠の相に於ける国際的秩序の建設、これこそ今後の世界が絶対的に養正するところのものである。

三種神器の剣、従つて日本皇軍存在の意義は実に茲に在る。皇軍存在の大義は、内に万邦無比の国体を擁護し、外に国体の精華たる皇道天業を世界に実現する道義兵力たる点に存するのであつて、決して、いわゆる帝国主義的侵略聖力たるものではない、油田の略奪や、鉄の産地の強奪や、自国商業の保全の為めの弱小民族の支配やは、欧米その他の国家の軍隊の仕事であつて、断じて皇軍の行ふべきことではない。日本国民は、万世一系の天皇の統治意志の本義に従ひ、行動天業の第一義に沿ふて此事を認識し、而してわれらの絶対的信念とせねばならぬ。日本は、国家の相力を傾倒して、逐次、全世界を打つて道義的一大秩序の下に安住せしむるの天業を恢弘すべき使命を有する国である。

三 世界一家=玉=の人類的経済の建設

人は自己のみ生存する権利ありと為すことは許されぬ。我れに生存の権利ある以上他のすべての人々も亦同様の権利の主体である。同じ事が、民族、国民の場合に就ても曰ひ得られる。アングロサクソン民族だけが、又白色民族のみが生存の権利を有し、この権利の故に、東洋民族を支配するの権利を有す、などといふことは断じて許すべからざる邪義である。

今日の世界を経済的見地から眺めるならば、世界は実に白色民族の生存生活を本位とし、白人の利益を基軸として組織せられてゐる。之をたとへれば、白人は一課の主人であり、有色人はすべて白人の家僕奴隷たるべきものとの思想の下に、世界の経済的機構がつくりなされ且つ運用せられてゐるのである。のみならず、次には白人相互間に於ても、自国本位の経済観が旺盛で、世界は浅間しくも全く修羅の巷である。そこには単に自己のみを肯定して他人を肯定し尊敬する思想がない。それであるから、他民族に対するや、他民族そのものを愛敬する精神が基本とならず、もっぱら他民族の労働力と他民族の居住する領土と及びその天然資源のみを尊重するといふ、唯物的世界観が絶対視されてゐるのである。果たしてかくの如き事が許さるべきであらうか。

世界の経済生活は、強大国の民族の自我的貧欲を中核とする人類労働力の支配と、天然資源の争奪と、而して他国民他民族をして自国に於て生産セル商品の購買者たらしめんとする競争とによつて営まれてゐる。かくの如き経済の社会に、真の世界的慶びのある筈がない、そこに人類の正義のあらう筈がない。世界の相互関係が緊密化し、更に高度の世界観が発達するにつれ、かかる経済的機構が永続を承認せられるといふ事は考へ能はざるところであらう。世界の経済機構は根本的に変革せられ、そして人類畢竟の喜びを充足するに足る新経済機構が確立せられなければならぬ必至の運命にある。行動に基く敬愛の新機構樹立──それが、三種神器の玉から発する日本天皇の御事業である。この皇道経済は、人を尊び、人を愛し、人と共に存し、人と扶け合ひ、人と共に栄えるといふ人間の大道、アジアの魂の復活を要求する。されば唯物思想の経済を駆逐して人間歩にの、極言すれば精神本位の経済思想を呼びさますことこそ、まづ緊急の仕事でなければならぬ。人間の魂を磨きあげた有無相通、相互扶助、共存共栄の世界一家体制、そこに真に、世界的、人類的積慶が実現されるのである。マルクスも或る意味では世界経済の変革によつて人類の幸福を永遠に約束しようと考へた理想主義者ではあるが、不幸、彼は唯物主義、共産主義を以ておその道なりと確信してしまつた。マルクス及びその一流は、人間の霊性を否定し、人間の血に基く道義といふものを正確に理解し得なかつた。故に、彼等の実現せんとする経済体制は、唯物弁証法的発展としての機械的体制に外ならぬ。そこでは世界の人類が、物質的に利害的に経済的に離合集散する間柄に過ぎない。日本の現在に、不知不識、かくの如きマルクス的、共産主義的思想に陥つている有力階級がないであらうか。日本の皇道が實現せんとする世界一家体制とは、日本国体の体件に基き、人類を以て動報と観じ、世界を以て一家と為す高度の人類観を指導原理として打ち樹てる準生命体系的経済組織である。政治が経済を指導する体制である。

よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさはぐらむ(明治天皇御製)

といふ日本天皇の大慈愛を指導精神として建立せんとする新経済体系である。

四 世界一善=鏡=の世界的文化の建設

人類は、近中の如く、食物即ち経済の為めに争ふべきものでない、単に移植たり、征服を行ふて快とするが如きは、断じて人間の本領ではあるまい。人類は限りなく高き文化を開発し文明を創造し、よつて以て人生を深め高め且つ厳飾する事に一意邁進してこそ、人生の意義を発揚するものといはれるのである。食ふもこれがため、学もこれが為め、働くもこれが為めでなければならぬ。然るに資本主義にもせよ共産主義にもせよ、現代の代表的世界観は、利益の帰属に於て有産者本位なるか無産者本位なるかの相違こそあれ、要するに唯物主義に他ならないのであつて、この唯物主義の人生観は、かかる人生の意義を破壊し去り、人を食物の器となし、人を利潤金銭追究の機械と化し去り、よつて以て、永遠に人をして修羅たらしめるのである。財貨は人が人生を意義あらしめる為めに必要とするものであるにも拘らず、唯物主義の人生観に毒せられたる者は、財貨を人生の目的とし財貨追究を人生の意義なりと錯覚せしめる。見よ、世界には如何に財産の番人たるの境界を出でざる富の死蔵者の多きかを。人生の意義をかくの如く唯物的に観ずる処、殺戮戦闘は絶ゆるひまがない。闘争を事とする処に崇高なる文化なく、貪食求利を事とする処に清浄なる人生は無い。たとへ文化ありとするも多くは歪曲せられたる文化であつて、霊性の香り高き文化ではない。又、文化があつても、世界を荘厳するに足るず、徒らに、血と涙の中に埋没せられて世の光明とならぬ。然るに、経済的機構にして上記の如く道義的に革新せられ、王道経済の新体系樹立せられんか、人類及び国家は、何等利潤の為に闘争攻伐するの要を見ない。国際的秩序は厳然たる道義法によりて維持せられてゐるから、人々は安穏至極の生活を自受法楽するのみである。かかる世界にして、人類は、初めてその本然の能力を全傾して文化の創造文明の開発に精進するを得るのである。それが世界の到達すべき理想境である。

世界的文化創造の母胎は民族であり、而して創造せられたる文化を保護し発揚する処のものは国家である。又、国家に文化的内容を付与するものは民族であり、民族に文化創造の治安的条件を付与するのものは国家である。世界の各国民族は、おのがじし、その固有の文化的素質を遺伝し、累代、その素質を陶冶し、向上せしめ特有の文化を創造する。然しながら文化は比較する事が出来、又、正しい比較によつて反省と工夫と努力とが加へられ益々高き発達の域に向ふものであるから、独善は慎しまねばならぬ。即ち、ひろく、各民族の文化を学び、之に批判を加へて自己の文化を大成する態度ありてこそ、各民族の文化は愈々人類の精華となり、相照相発して燦然たる文化の黄金世界を現出し得るのである。

よきをとりあしきをすてて外国におとらぬ国となすよしもがな

といふ明治天皇の御製は、直接には日本国民に対して垂訓あらせられたものであるが、然し、この道は之を古今に通じて謬らず之を中外に施して悖らざるものであつて、如何なる国民、如何なる民族もこの大御教を遵奉すればよいのである。そこには必ず世界的文化が生れると共に又世界的文化に即して各民族の特色ある文化が光りを放つのである。これが世界の一善に帰する所以にほかならぬ。

かくの如く、世界一法、世界一家、世界一善の新世界を建設する事こそ天業の天業たる所以であつて、「八紘一宇」とは、まさに、是の三者の総括的表現であるといつてよい。日本天皇は無意味に、または唯物主義的に、三種神器を伝承せられてゐるのではなく、まさしく天皇がこの雄大なる世界観に基いた崇高遠大なる世界大策を実行したまふ旗印しとして、天業の主茲にありと、世界にわが皇位の尊厳を掲示したまふものと拝すべきである。終りに以上を一括図示してみよう。

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